正月から被災
元旦から被災した訳だが、あまり頻繁にも更新出来ていなかったこのブログをひさしぶりに更新しようかと思ったタイミングに被災した。
去年の負荷も相当なものだったが、まさか2024年もいきなりこの調子で始まるとはと、心からびっくりしている。
当初元旦に書いていたブログ内容は、先程確認したところ下書きとして残っていたためそのまま保存した。
内容については、深く書こうとしていたものだから、すぐに追記して公開できるようなものではない。
いつか公開できたらと思う。
最近はどうにも一人の時間を取れないものだから、誤謬含め添削してから内容を充分に記することも、なんなら見返すことすら出来ずにいる状態である。
客観的に見ても非常に良くない状況であるが...
今も数分の時間を利用して更新をしようとしている。
さて、こちらは特に無事であり、もうすっかり日常生活に戻り始めている。
私の住む市街地に関してはすでに1月2日には復旧しているのだから、大変迅速な対応であったと思う。
店も開いている。
一部設備故障にてまだ開店できていない飲食店は、古いビルのテナントのみ確認できたが。
被災時に、避難に必要と思われる物品をバックパックに詰めたが、そろそろその中身を出して生活しなければ、普段の日常を送るに際し不便が出てくる状態になってしまった。
諦めて中身は全て出した。なのでバックパックの中身はすっかり空だ。
バックパックの中身を出してみると、この状況におけるよく分からない諦めの気持ちも出てきてしまうようで、気分が悪い。
しばらく、また、どこまでこの状況は続くのだろう。
歪さに気づきながら、穴の空いたバケツに水を汲むことを、私は意図的に行いながら日々を過ごしている。
人間の仕組みとして、そういった矛盾を感じながら耐えることは難しい仕組みになっていると思うが、それを今行っているのである。
歪さについてはもう"バックパック(諦め)"だ。
余震はもう静まったが、
と書いていたら違うな、今震度5弱が発生した。震源は遠いが、長いゆっくりとした横揺れだった。
このままだと東京に帰れない。
地震の揺れに極端に苦手な人間を置いて、急に私の姿が見えなくなった状態ですら精神が不安定になる人間を置いて行けるのか。
私は養われている身であるからして、勝手な行動は控えなければならないとも思うし、そういった経済的自立が出来ていない自分にも悲しみを覚える。
そもそも、あまりそういった人を不安定にする行為を意図的に行うことにも抵抗がある。
自分の方が参っているのは重々承知だが。
そこが客観的には良いところなのかもしれないが、自分の身だけ考えればデメリットなのかもしれない。
震災と、この地とこの状況が、いつまでも私の前進を妨げようと、ある種の執念のような形で津波のように追ってくるように感じる。
嫌な津波が続いている。